イエスさまがサマリアの町を通りかかったときの出来事です。サマリア地方に住む人たちは、紀元前8世紀以来、異民族の宗教や習慣を受け入れてしまったために、イエスさまが属するイスラエル民族とは反目し合っていたのだそうです。
それにもかかわらず、イエスさまは、通りかかった井戸のそばで、サマリアの女性に「水を飲ませてください」と気軽に声をかけます。声をかけられた女性は、とても驚き、怪しみます。でも少しずつ心を開いていきます。相手が先入観や偏見で心を閉ざしていたら、私たちはなかなかその相手にかかわる勇気を持てません。しかし、イエスさまは、相手の中にある優しさを信じて「水を飲ませてください」と声をかけたのです。私たちもこういう経験をしているはずです。「早くしなさい」「片づけなさい」などと命令口調で子どもに言ってもなかなか言うことをききませんが、「ちょっと手伝って」とお願いすると、喜んで家事を手伝ってくれるものです。頼られること、家族の一員として認められることは、子どもの心を動かすのです。わたしたちは、もっともっと子どもを信じて、子どもに助けてもらうべきなのです。
イエスさまは、水を飲ませてもらいながら、もう一方で、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠のいのちに至る水が湧き出る。」とおっしゃいます。喉の渇きをいやす水のイメージを使って、イエスさまは、人に生きる力を与える、信頼と愛情のこもった言葉についての話をなさったのです。自分を認めてくれる言葉は、一杯の水のように喜びを与えてくれるだけでなく、それが呼び水となって、本来自分の中にある優しさや勇気が泉のように湧き出てくるというのです。それが生きる力になるのです。
子どもが本来もっている「生きる力」を引き出すような声掛けをしましょう。子どもの中にある大きな力を信頼しましょう。
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