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認定こども園 聖愛幼稚園

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書き下ろし連載93
祈る気持ち
ヨハネ福音書2章13〜22節

細井保路
                

   イエスさまは、エルサレムの神殿を訪ねたとき、その境内の奥まで、捧げものの動物を売る人や両替人がいて、静かな祈りのための場所が喧噪の中にあるのをご覧になり、彼らを追い散らされました。 そして「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われました。

   イエスさまのこの乱暴とも思える行動は、静かな祈りの場所までもが売り買いで騒々しくなっていることに対する叱責であって、ただ怒りを爆発させたわけではないのです。

   神さまに祈ることで、私たちは、神さまがすぐそばにいて支えてくださることを感じ、平和な心を保つことがでます。 しかし、人の挑発に乗って怒ったり、不安や恐れで心がかき乱されたりするとき、心の平和はどこかへ行ってしまいます。 イエスさまは、その心の平和を取り戻すための場所までもが、金銭的な思い煩いに満ちてしまっていることを嘆かれたのです。

   神さまに祈るための場所としてわざわざ造られている神殿までもが、神さまを無視した場所になってしまっているというのは、とても象徴的なことです。 このことは、神のいのちが宿っているはずの人間の尊厳がないがしろにされてしまうことに繋がっているのです。 人がお互いを尊重し合えず、傷つけあうのは、心の平和を見失っているからなのです。 自分の心のうちに、神さまに守られている安心感があるなら、人はお互いにもっと優しくなれるはずです。

   一人でも平和な心の人がいれば、周りの人たちも安心感や喜びを感じることができます。 私たちは、些細なことで心が乱され、怒ったり焦ったりパニックになったりしますが、そういう時にこそ、落ち着きと優しさを持った平和な心をくださいと神さまに祈るべきです。 はっきりとした神さまのイメージなどなくても、平和な心をくださいと祈ることはできるのです。

   そして、親が平和な心を持っていれば、子どもは安心感の中で育つことができます。


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