カナという町で婚礼があり、イエスさまも弟子たちも招待されました。イエスさまのお母さんのマリアもそこにいたと書かれています。お祝いの裏方としていたのかもしれません。
宴会の途中でブドウ酒が足りなくなってしまったことに気づいたマリアは、イエスさまに「どうしましょう」と相談にいきます。イエスさまは、初めはそれに取り合わないのですが、マリアは、そんなことはお構いなしに、そこにいた召し使いたちに、「イエスさまの言うとおりにしなさい」と言います。
イエスさまは、きれいな水をブドウ酒用の器に汲み取らせ、それを宴会の世話役のところへ持って行くように指示します。そこで、水がブドウ酒に変わった、という奇跡の話です。信じがたい不思議な話です。そんなことがあるはずがない、と思って読み過ごしてしまってはもったいない話です。人を助けるとはどういうことかを教えてくれるすばらしいエピソードだからです。
宴たけなわで酒が切れてしまっては、結婚式は台無しです。挙式をしている家族も恥をかきます。マリアさまとイエスさまは、誰にも気づかれないように、そっとそのピンチを救うのです。
相手に恥をかかせないという思いやりを、私たちはしばしば忘れてしまいます。人のいる前で相手をけなしたり、答えにくいことを質問して追い詰めたりするのです。自分ではそんなことをしないように心掛けている人でも、いやな思いをさせられた経験はきっとあると思います。私たちが、一番気をつけなければいけないのは、わが子を人の前でけなしたり、追い詰めたりしないということです。親は冗談半分や照れ隠しのつもりでも、子どものプライドはとても傷つくのです。マリアとイエスが連携プレーで新婚カップルのピンチを救ったように、私たちは、子どものピンチをさりげなく救う応援団でなければなりません。そして、水がブドウ酒に変わるような奇跡は起きなくても、それに勝るとも劣らない力を子どもにプレゼントすることはできるのです。
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