新約聖書の中に、福音書が4つ収められています。
その中でも、4番目のヨハネ福音書は、他の福音書に書かれていないエピソードや、イエスさまについてのヨハネ独自の受け止め方が随所に見られます。
今年は、この福音書をていねいに読んでいきます。
まず、冒頭から難しい表現が出てきます。
「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」
この「ことば」という単語の意味をどう捉えたらよいのでしょうか。
さまざまな哲学的な解釈が試みられてきましたが、「ことば」という単語をわかりやすく言いかえれば、「メッセージ」ということです。
ヨハネはさらに、すべてのものが「ことば」から生れ、その「ことば」の内にこそいのちがある、と続けます。
では、その「メッセージ」とは何なのでしょうか。
ヨハネ以外の福音書には、「お前は私の愛する子である」というメッセージが、イエスさまの心の内には絶えず響いていたことが記されています。
イエスさまは、誰もがこのメッセージを受け取ることを願っていたのです。
ですから、別の言い方をすれば、「誰もが幸せになるように」ということこそが神からのメッセージなのです。
そうであるならば、この当たり前の、単純なメッセージは、既に誰の心の内にもあることに気づきます。
誰もが幸せになることを願っているし、誰もが自分の大切な人が幸せであることを祈っています。
でも、「すべての人の幸せ」を願っているかというと、自分を陥れたり、裏切ったりした相手の幸せはなかなか願う気持ちにはならないものです。
つまり、私たちの心の狭さが、この単純なメッセージを素直に受け取れなくしているのです。
ヨハネはそのことを、「光は暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解しなかった。」と表現します。
「誰もが幸せになるように」というメッセージから離れないようにしていれば、私たちは光の中にいるようなものだけれど、反対に、このメッセージを無視すれば、心は暗くなるばかりだということです。
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