有名な100匹の羊のたとえ話です。
同じ話がルカ福音書にも書かれていて、その方がよく読まれます。
ルカ福音書では、「悔い改める罪人のために、天には大きな喜びがある。」と結ばれています。
それで、改心の話として読んでしまいがちです。
しかし、マタイ福音書では、「小さな者が一人でも滅びることは、天の父のみこころではない」という言葉で結ばれています。
迷い出たたった一匹の羊さえも見捨てないというこのたとえ話は、神さまが一人の例外もなく、すべての人の幸せを願っているというメッセージなのです。そして、神が望んでおられることは、ただひとつ、「誰もが幸せになること」に尽きるのです。
神さまがいるとしても、神さまが何を望んでおられるかわからないと私たちはよくつぶやきます。
しかし、本当は、皆知っているのです。
神さまを引き合いに出すまでもなく、私たちが求めなければならないのは、「誰もが幸せになること」だと。
そして、そんなに簡単なことなのに、私たちは、素直にそのメッセージを受け入れられないのです。
なぜなら、私を苦しめた人に幸せになどなってほしくないから。
私に関係がなくても、多くの人を苦しめたような人も許されてしまうなどということは認めたくないから。
あるいは、人を差し置いても、まず自分が幸せになりたいから。
そういう私たちの心の狭さが、この単純なメッセージを拒むのです。
でも実は、自分にのしかかってくる多くの不安や苦しみと闘っているとき、ふと気がつくと、人の幸せを願う余裕などなくなっている自分がいるのです。
自分の悩みを一旦脇へ置いて、誰かの幸せを願う気持ちを取り戻してみましょう。
そこから必ず新たな道が開けてくるはずです。
なぜなら、「神のみこころ」とは、「人間が幸せになるための本来の姿」のことにほかならないからです。
そしてそれは、自分も含めて「人の幸せを願う」ことだからです。
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