イエスさまは、イスラエル民族の伝統と信仰の中に生まれ、その信仰のエッセンスである神の愛の豊かさを伝えようとなさいました。
ですから、直接語りかける相手は、身近にいるイスラエルの人たちでした。
しかし、違う民族の人たちの中には、勇敢にもイエスさまに助けを求める者もありました。
そして、そういう人たちに向ってイエスさまは、「あなたの信仰はすばらしい」とおっしゃったのです。
この場合の「信仰」とは、神についての知識や理解があるということではなく、人の幸せを真剣に願う心を持っているということです。
そしてそのよい願いは、必ず現実を変えるのです。
身の回りの様々な問題や社会情勢についてさえも、私たちが本気で現実がよくなることを願い続けるならば、必ず良い変化は訪れるのです。
しかし、よい変化をもたらすためには、簡単にあきらめたり、人のせいにしたりしてはならないことに、このエピソードは気づかせてくれます。
登場する女性は、イスラエルの人ではありません。
でもイエスさまに、苦しんでいる娘を助けてほしいと懇願します。
それに対して、イエスさまは、とても冷たいことばで応えます。
「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と言われたのです。
つまり、私の関心は当面イスラエルの同胞であって、あなたではないという意味です。
普通ならイエスさまの言葉に腹を立てて、失望してその場を去るところですが、この女性はそこであきらめずに、「でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」とくいさがります。
そしてイエスさまは、「あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」とおっしゃり、実際にこの人の娘は病気から回復したというのです。
わたしたちもどんな状況の中にあっても、いつも身近な人たちの幸せを願い、この社会が間違った方向に進まないように真剣に願い、そのために祈り、そのために出来る何かを実践していく前向きな姿勢を持ち続けましょう。
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