学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載78
種まきのたとえ
マタイ福音書13章1〜9節

細井保路
                

   新学期を迎え、子どもたちも、そして大人もまた何かワクワクした気分になります。 草木が芽吹く春という季節がますますその気分を盛り立ててくれます。 草花の生命力には目を見張るものがあります。 イエスさまは植物の種のたとえをよく話されました。 その中の一つが、この種まきのたとえです。

   ある人が種まきに出かけます。 種は道端や、石地や、茨の中に落ちますが、もちろん実を結ぶことはありません。 そして、よく耕した土地に落ちた種は百倍の実を結ぶというお話です。

   このたとえ話には、説明も書かれていて、種は「御言葉」つまり、神の言葉だというのです。 イエスさまは、神からのメッセージは大いなる愛とゆるしであると教えられたのですから、「神の言葉」とは、大いなる愛とゆるしそのものだということになります。 そしてそれに気づくことこそが人の幸せなのです。 そのメッセージを恵みとして受け取ることができる心の状態を、たとえ話の中ではよく耕された「良い土地」と言っているのです。 だから、このたとえ話は、神の恵みを受け取れるように、よく準備して悟りなさいと言っているように思えます。

   しかし、ただそれだけのことなら、石ころだらけの土地や、雑草の生えた土地の話をする必要はありません。 イエスさまは、恵みに気づけということだけをおっしゃりたかったのではなくて、恵みはすべての人に、惜しげもなく注がれているということをこそ伝えたかったのです。 恵みに気づき感謝して受取る人に対してだけでなく、気づかない人にも、無視する人にも、感謝の心を持たない人にも、溢れるほどに恵みは与えられているのです。 生かされているということは、私の努力でも、能力でも、ましてや手柄でもないのです。 そしてそれに気づくからこそ、私たちは、その恵みをもっと丁寧に感謝して受け取らなければならないと悟るのです。 親も子も同じ大いなる愛のうちに生かされていることを改めて思い起こしましょう。


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