学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載77
みこころ
マタイ福音書12章46〜50節

細井保路

   あるとき、イエスさまが群衆に話をしていると、イエスさまの身内の人たちが会いに来ます。 誰かがそのことを知らせると、イエスさまは、目の前の群衆に向かって、「わたしの家族はあなたたちだ」と語りかけます。 そして、「わたしの天の父のみこころを行なう人こそが、わたしの兄弟、姉妹、母である。」と言葉を続けました。

   「天の父のみこころを行なう」ということは、何か行動を起こす前に必ず、「神さまは何を望んでおられるだろうか」と考えるということです。 しかし、具体的な行動の指示があるわけではありません。それでも、選んで決断して実行するのはわたしたち自身です。 その選択のときに、人として大事にすべきことは何か、と考えればいいのです。 何かを決断するときに、必ずしも十分な情報が与えられているわけではありませんから、当然判断を間違うこともあります。 何をすべきかわかっていても、力不足でできないこともあります。 イエスさまは、何が出来たかではなくて、どんな思いで生きているかを重要視しておられるのです。 自分の欲望を最優先させるのではなくて、何かわからないながらも、人として大切な思いを見失わないようにして行動しなさいとおっしゃっているのです。

   「主の祈り」の中の、「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という言葉は、そのことを言っているのです。 「みこころ」つまり神さまが望んでおられることは、わたしたちを幸せに導くものであるはずなのですから、それを大事にしようという気持ちがあればいいのです。 わたしが何かを立派にできますようにと祈るのではなくて、神さまの思いが実現しますようにと祈ることここそが必要なのです。 本当にそう祈るならば、神さまは、わたしたちをそのお望みの実現のために自由に使ってくださるはずです。 そのときまさにわたしたちは、神さまのもとで、ひとつの家族になるのです。 そして、お互いが何かしら大切な役割を与えられてそこに存在していることを認め合えるようになるのです。


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