正月の過ごし方は少しずつ変わっていきますが、正月の気分というのは、やはりいいものです。家族の絆を確かめ合うときでもあり、年の初めに一年の計画を立てて、新たな気持ちで再スタートするときでもあります。
新たな気持ちで、身近な人の一人ひとりの存在の素晴らしさを再確認することも必要です。教会では、正月に先立って、クリスマスを祝います。クリスマスはキリスト教にとってのお正月だといってもいいのです。イエスさまの誕生の夜、羊飼いたちは、旅先でひっそりと生れたその赤ちゃんを、人類の救いに関わるような尊い存在として受け入れました。そして、そのイエスさまは、成人してから、まさに自分が生まれたときにしてもらったように、出会う人たちの中に、神からいただいた尊い命と豊かな力や魅力が溢れていることに気づかせてくださったのです。そういう方法で、人の救いのために生きたのです。
私たちは、ひとたび人にレッテルを貼ってしまうと、本当はその人が持っている別の力や魅力に気づこうともしなくなります。そうやって、お互いに相手の成長を妨げているのです。自分自身が今持っている力や魅力は、実は最初に誰かが気づいて、認めて、引き出してくれたからこそ開花しているのです。そして、私たちはきっと、自分が神さまからいただいた恵みの豊かさを十分に気づかずに一生を終ってしまうのです。
もっとお互いに相手の良さを見つけましょう。それを認め引き出し、花開くのを応援しましょう。そのことを思い出すために、無力な赤ん坊の姿のイエスさまを年の初めに思い出すのです。どんなに弱く小さな存在も喜び祝う価値があるということを思い出すのです。
そしてそのイエスさまは、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」とおっしゃいました。一人ひとりの命が輝くためには、「お互いの良さを認める」という新しいまなざしを、繰り返し取り戻すことが必要なのです。
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