学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載74
クリスマスを迎えて
マタイ福音書9章9〜13節

細井保路

   イエスさまは、当時の宗教的な規定を守らない、守れない人たちとも分け隔てなく付き合われたと書かれています。 真面目な人たちからみれば、それは間違った生き方でした。 そこで彼らは、「なぜ罪人(掟を守らない人という意味)と一緒に食事をするのか」と問いただします。

   人に評価されることは悪いことではありません。人に感謝されることも、もちろん間違ったことではありません。 でも、誰かのためにしてあげたことが、正当に評価されるのがあたりまえになると、評価されないときに不満を感じるようになってしまうのです。

   それに対してイエスさまは、「医者が必要なのは病人だ。」とまず答え、続いて旧約聖書の言葉を引いて、 「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』と書かれている。」とおっしゃるのです。 これは紀元前8世紀の預言者ホセアの言葉で、正確には、「わたしが望むのは、いけにえではなくて愛、 焼き尽くす献げ物ではなくて神を知ること。」(ホセア書6・6)というものです。 神さまに向って私達がすべきことは、愛すること、知ることであって、いけにえを捧げることではないというのです。 昔の人たちの習慣は、動物を殺して焼いて捧げるというのですから、私達が普通に考えるお供えや奉納より荒々しい感じがします。 でも、意味は私達がイメージする奉納と変わらないと考えてよいと思います。 捧げ物をする行為は、とても尊いことのように思えますが、実はこちらから一方的に神さまを拝んでいるだけであって、 神さまが何を望んでおられるのかを静かに思いめぐらすこととは程遠いということに気づきます。

   イエスさまは、神に向かう姿勢は、そのまま人に向かう姿勢なのだとおっしゃっているのです。 相手に対して、こちらの思いを一方的に押しつけても、相手のためにはなりません。 相手を愛し尊重することこそが大切なのです。助けが必要な人にこそ寄り添わなければいけないのです。

   もうすぐクリスマスがやってきます。毎年、イエスさまの誕生を祝います。 イエスさまは、神さまこそ私たちに寄り添ってくださっていることを教えられたのです。 そのことから、私たちが、お互いに助け合い愛し合うことの大切さを思い出すことこそ、 クリスマスのお祝いの目的なのです。


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