たくさんの兵隊を統率する百人隊長の話です。部下の一人が病に倒れ、彼はイエスさまに助けを求めます。そして、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしのしもべは癒されます。」と謙虚に思いを伝えます。
自分の部下を身内のように大切に思っているこの人は、常日頃部下に様々な命令を下す立場にいます。自分の発する言葉が相手を拘束するものであることをよく知っているこの人は、よく吟味して言葉を発し、自分の言葉に責任を感じていたのだと思います。
言葉を大切にすることは、相手を大切にすることです。わたしたちは、自分のうちに溢れてくる感情のままに、相手に十分伝わるかどうかを考えもせずに、また、相手がどういう気持ちになるかも考えもせずに言葉を発することがしばしばあります。相手の言葉をいい加減に聞いて、勝手に自分の都合のいいように解釈してしまうことも度々です。自己中心的な感情の渦のなかで暮らしているからです。その結果、言葉は価値のないものになってしまいます。
言葉はしゃべるための道具、要求を伝えるための道具として便利ですが、考えるためや祈るための道具でもあるのです。しかし、考え始めると、自分が持っている言葉の貧しさという壁にぶつかってしまいます。祈り始めると、うまく言葉に出来ない事柄があることに気づきます。私たちは、言葉をもっと大切にするために、まず内省することが必要です。言葉にならないような思いに行き当たることによって、言葉を探し、丁寧に選ぶこともできるようになるからです。
わが子と気楽な会話を楽しむことは、とてもいいことです。でも、時々、独りになって、どんな言葉で自分の温かい思いを伝えたらよいか、どんな言葉で子どもの魅力に気づかせてあげられるかと考えてみることも大事です。
戻る