学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載71
善意
マタイ福音書6章1〜4節

細井保路

   「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」という大げさな言い方で、イエスさまは隠れた善行が大切だと教えられました。

   人に評価されることは悪いことではありません。人に感謝されることも、もちろん間違ったことではありません。 でも、誰かのためにしてあげたことが、正当に評価されるのがあたりまえになると、評価されないときに不満を感じるようになってしまうのです。

   わが子のために、家族のために、友達のためにしてあげたことに対して、感謝の言葉が返って来ないと、なんだか空しくなってくるのは、私の苦労や犠牲は認められるのがあたりまえだと思ってしまっているからです。

   相手の喜ぶ顔が見たいからとか、相手に気持ちよく過ごしてほしいからとかいう思いで始めたことであっても、「報われない」という思いが頭をもたげてくると、最初の動機はどこかへ行ってしまいます。相手を喜ばせようと思ってプレゼントをしても、それを「借り」としてしか受け取ってもらえないこともあります。「お返し」をすることできっちり借りを返すのは悪いことではありませんし、常識的なことかもしれませんが、「見返り」を求めない愛情は行き場を失ってしまいます。

   実はイエスさまは、そのことに気づかせたかったのです。私たちの人生を支えているのは、見返りを求めない誰かの愛情なのです。今日一日、なんとかうまくいったのは、余計なお世話と思えるような誰かの心遣いがあったからかもしれないし、名前も知らない人のために何かを準備しておいてくれた人のおかげかもしれないのです。受け取る資格があるわけでもないのに受け取っている無数の善意に支えられて私たちは生きているのです。

   「私がしてあげたことを認めてください」と言い合っているかぎり、私たちは人生の喜びや感謝からほど遠いところで生きていることになります。


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