学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載68
生かされていることに気付く
マタイ福音書4章1〜4節

細井保路

   イエスさまは、活動を始める前に、人里離れたところで、断食して祈ったと書かれています。そして空腹を覚えたときに、悪魔の誘惑の声を聞きます。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と言うのです。それに対して、イエスさまは、こう答えます。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」旧約聖書の申命記8章の言葉をそのまま引用して答えられたのです。

   本当に飢えている時に、まず必要なのは食べ物であるはずです。だから、どうやって食べ物を手に入れるかを真っ先に考えます。また、食べ物を手に入れることを困難にしている原因についても考えます。食べ物を入手することが絶望的であれば、焦りを感じます。

   通常の生活で、食べ物のことで追い詰められることは、ほとんどないでしょうが、様々な問題に直面して、焦りを感じることは、だれにもあることだと思います。焦っているときに、私たちは、目の前のことしか見えなくなります。しかも、目の前にある条件の悪さばかりが目につくのです。

   聖書の言葉に即して言えば、生きるためには「パン」が必要です。「パン」とは生きる条件です。どうやってパンを確保するかを真剣に考えなければなりません。でもその前に思い出さなければいけないもっと大事なことがあるのです。それは、私たちは「生かされている」ということです。「神の口から出る言葉で生きる」とは、与えられている条件で悩む前に、まず生かされている幸せに気づけということなのです。

   目の前の問題で慌ててしまうなら、足りないものや失ったものばかりが目についてしまいます。しかし、天を仰いで、「生かされている」ということをまず思い出すなら、生かされていることの幸せは少しも損なわれていないことに気付くはずです。それどころか、条件の悪ささえ、大した問題ではなくなってくることでしょう。


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