学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載66
手放す
マタイ福音書3章1〜12節

細井保路
                

   聖書では、イエスさまが登場する前に、ヨハネという人物が「悔い改めに導くための洗礼」という活動を始めます。 その伝統を受け継いだキリスト教は、罪のゆるしのしるしとして、新たに生れ変わることのしるしとして、神を信じることの証しとして洗礼を大切にします。

   しかし、教会が、洗礼という儀式の意味を説明するために豊かなイメージをつけ加えればつけ加えるほど、最初のヨハネの意図から遠ざかってしまうような気がします。ヨハネはなぜ、川の水につかり、水をかぶるというような動作を選んだのでしょうか。水に入って行く時に、濡れては困るような大切な物を抱えたままでは入れません。どうしてもそれは手放さなければならないのです。つまり、ヨハネは、神からの恵みをもっと豊かに感じ取るために、私たちが抱え込んでいる悩みやこだわりや恨みや後悔を思い切って手放せと言いたかったのです。私たちがこだわって、大切にしていることが、かえって私たちの足かせになっているかもしれないのです。 新たな出会いや、豊かな体験のために、何かを手放すということがときには必要なのです。

   これにちょっと似ているのが、お茶室の「にじり口」です。あの小さな入口には、茶室に日常を持ち込まず、新たな世界に出会うために、身分の上下もなく皆頭を下げて入るという意図があるのです。

   さらにヨハネは、イエスさまがやって来て、「聖霊と火で洗礼を授ける」と言います。神の霊そのものが私たちを生かし、私たちの内ですばらしいことを実現してくださるということを受け入れるなら、こだわりは全部捨ててしまっても大丈夫だというのです。その大らかな気持ちを手に入れる第一歩が、こだわりを手放すことなのです。

   新学期が始まりました。子どもたちは、新たなステージに立ってさらに成長を続けます。親にとっては、わが子に対する必要以上の心配や決めつけを手放すチャンスでもあると思います。


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