お祭りで活気にあふれているエルサレムの神殿で、イエスさまは、突然、商売している人たちを追いたてて、「祈りの家」であるはずの神殿を、「強盗の巣にしてしまった」と嘆かれました。
祈る場所を持たなくなってしまった人々に対して、イエスさまは本気で怒っているのです。祈るために特別に神聖な場所が必要なわけではありません。イエスさまご自身が、いつも人から離れて淋しいところで祈っておられたと聖書に書かれています。でも、特別に祈るための場所が用意されているとすれば、そこには象徴的な意味があるはずです。一人ひとりの心の内に、祈る場所を持つことの象徴として神殿があるのです。
誰に祈っていいのかわからないという人も、心の内に空っぽな部分を作って、そこで何か新しいメッセージに出会おうとすることは大切なことです。後悔や思い煩いを一時でも手放して、感謝の気持ちが湧いてくるまで静かに心を落ち着けてみることは大切なことです。空っぽの静かな場所を心の中に持つことは、私たち一人ひとりが「神殿」になることだと言ってもいいのです。
お正月には、信仰の有る無しにかかわらず、多くの人が初詣に出かけます。そしてその誰もが、欲深い願いごとだけをしているのではなくて、すがすがしい気持ちになって新しい年を始めようとしているのです。知らず知らずのうちに私たちは、心の内に祈る場所を持っているのです。それを、お正月だけでなく、いつでも持ち続けることができたら、悩みや怒りで心が一杯になってしまうことなく、お正月のようなすがすがしい気持ちで過ごすことができるはずです。
イエスさまが、祈るために独りになれる場所を持っていたように、私たちも自分の気に入った静かな場所を持つことができたらすばらしいと思います。そんな余裕がないとしても、せめて一息ついてお茶を飲む時間とか、買い物のついでに眺める景色とか、そんなささやかな時と場所を大切にしていきましょう。
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