「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」これは、イエスさまが活動を始めた時の言葉です。「悔い改めよ」と言われると、誰もが、自分の過ちを素直に認めて反省しなければならないと思ってしまいます。しかし、イエスさまは、本当にそんな意味で改心しろとおっしゃっていたのでしょうか。
改心するということは、今の心の状態を変えろということです。キリスト教では、「回心」という漢字を使ったりしますが、どんな字を使うかは大した問題ではありません。当時の人たちはいつの間にか、「神に背いたら救われない」「正しく生きなければ救われない」という狭い考えを刷り込まれていたのです。そして、私たちも「間違ったことをしてはいけない」と思って生きています。しかし、ミスを犯さない人はいません。それでも正しく生きようとする人は、自分の小さなミスをごまかさなければならなくなるのです。そして、それを隠すために、人の過ちを責め立てるのです。
イエスさまは、「正しくなければ救われない」という考え方から抜け出して、「すでにあなたは、ゆるされている、愛されている」ということに気づきなさいとおっしゃっているのです。人はミスを犯すものだけれど、そのために排除されてしまうほど軽い存在ではないのです。一人ひとりの命は尊く、そして互いに密接につながりを持っているものなのです。「福音」とは「うれしい知らせ」という意味ですが、そのうれしい知らせの内容は、「私は弱い存在ではあるけれども、同時に、ゆるされた存在だ」ということなのです。そのことに気がつけば、人を裁いたり、自分のミスをごまかしたりすることに無駄な神経を使うのはバカバカしくなるのではないでしょうか。そのかわりに、生かされていることに心から感謝して、晴れ晴れとした気持ちを手に入れることができるはずです。
「悔い改めなさい」というイエスさまの言葉は、今よりもっと命の大切さを思い、感謝の心をもって生活しなさいという勧めなのです。
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