学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載54
人の下に立つ
マルコ福音書4章10〜12節

細井保路
                

   「見るには見るが認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない」という旧約聖書(イザヤ6章9節)の言葉を引用して、イエスさまは、人びとの無理解を嘆きます。そしてこれは、人ごとではなく、私たち一人ひとりに向けられた言葉です。

   たとえば、「平等」ということを考えてみましょう。太陽の下、皆同じように幸せになる権利があると、頭では誰もがわかるのです。しかし、腹の底では、人よりも得をしたいとか、人からよく思われたいとか、邪魔なヤツはいなくなればいいとか思っているのです。そして、損をしないために周囲を見回し、嫌われないために周囲を見回し、肝心の自分に与えられている幸せを眺めることを忘れてしまうのです。

   「平等」が実現するためには、キョロキョロ辺りを見回すのをやめることが必要です。自分だけでなく、他の人もキョロキョロしないで済むためには、率先して私が人の下に立つことが必要です。「私が正しい」とか「私を認めろ」とか「私の言うことを聞け」と叫ぶ人がいるなら、とたんに平和と平等は崩れてしまいます。反対に、謙虚な人が一人いれば、その人は人の上にのしかかって光をさえぎることがないので、周囲の人たちには平等に光が当たるのです。

   へりくだることは、初めはとても怖いことです。馬鹿にされたり、無視されるかも知れないという怖さがあります。しかし、誰かが率先して謙虚になれば、何を眺めればいいかがわかってきます。お互いの視線を気にするのではなくて、幸せがやってくる方向をみんなで眺めればいいのです。そうすれば、私も周囲ももっと爽快な気分になれるはずです。

   相手が子どもであれば、なおさら謙虚でなければなりません。大人は容易に子どもの上に立ってしまうからです。子どもに注がれている光をさえぎってはなりません。どんな姿勢で、何を眺めるか、新学期にもう一度考えましょう。


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