最後の晩餐の席で、イエスさまは、「私の平和を与えよう」と弟子たちに言われました。
しかし、その言葉の後にこう付け加えます。
「世が与えるように(つまり、普通考えられているような仕方で)与えるのではない。
心を騒がせるな。おびえるな。」
安心で安全な状況が整えられることによって、平静な心が保たれると思うのが普通です。
でも、イエスさまは、状況がどんなに悪くても、自分の心に内に平和があるなら、周囲の混乱に巻き込まれて一緒にパニックになる必要はないと言われるのです。
そしてその平穏な心をみんなにも持ってほしいと願われるのです。
マルコ福音書の4章35節には、イエスさまが湖の突風を鎮める話が書かれています。
このエピソードと合わせて読んでみると、平和な心を持つことの大切さがよくわかります。
波にもまれる小舟の中で弟子たちはパニックに陥るのですが、イエスさまは平然と眠っています。
そして最後には「静まれ」と言って嵐を鎮めてしまうのです。
神さまが共に居てくださると確信していれば、どんなときにも慌てなくてよいばかりか、本当に平静な心の人が一人いるなら、それは周囲の状況にまでも影響を及ぼすのです。
私たちは何かにつけて必要以上に慌てていないでしょうか。
ちょっと待たされただけでイライラしたり、横入りされただけでカッとなったり、人の噂で不安になったりと、私たちの心は、周囲の状況に影響されて、簡単に波立ちます。
でも「だいじょうぶ」という気持ちを失わなければ、外側の嵐にびくともしない平和な心を保つことは可能なのです。
そればかりか、周囲の人たちにもその平和な心は伝染していくのです。
心に中心に、「だいじょうぶ」という気持ちを据えてみましょう。
平和であたたかい心を持った人が一人そこにいるだけで、周りの人たちも安心することができるのです。
おとうさん、おかあさんが平和な気持ちでいれば、子どもたちは幼い頃から平和な心を獲得できるのです。
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