神殿の境内で、奉納する動物を売り買いしている人たちを見て、イエスさまは激怒し、「わたしの父の家を商いの家にするな」と言いながら追い出します。
イエスさまは、時にこのように激しい感情をあらわにし、指導者との間に対立を深めていったようです。
なぜ、これほど激しい行動をとられたのでしょうか。
神聖な空間を守らなければいけないのではなくて、わたしたちの心のありかたの象徴として、神聖な空間があるのです。
神さまに任せようとする心があれば、あるいは、善意で人を受け入れようとする心があれば、それは象徴的な形で、建物や空間にも表れてくるものです。
本来神聖な空間として準備されているところで商売を始めてしまったら、それはもう人々の心の中には商売のこと、お金のことしかないことを表わしていることになります。
祈る心や、人への配慮が人の心から失われつつあることを嘆いて、イエスさまはこの激しい行動に出たのです。
美しい心を表すような美しい建物を建てる必要はありません。
どんなにすばらしい建物を建てても、この話に出て来る神殿のように、そこが違う目的で使われてしまえば意味がなくなるからです。
むしろ、どんなにささやかな空間でも、そんなに見栄えのしない建物ででも、そこに心のある人がいれば、その場所は美しい場所になるはずなのです。
そう思って自分の住んでいる家を改めて眺めてみると、いつも人が出入りできるように開放的ではありますが、あまりにも雑然としていて、とくに私の机のまわりの整理のつかない状態は、わたしの心の状態そのもののようでもあります。
きれいに整頓されていることも大事ですが、もっと大事なことは、我が家が子どもたちにとって居心地のいい場所であるかどうかです。広さとか清潔感の問題ではなく、親の愛情が雰囲気の中に感じられるかどうかが大事なのです。
夏休みに、こどもの居場所としての我が家を見直してみましょう。
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