神殿の境内で、賽銭箱にお金を入れる人たちを見ていたイエスさまは。一人の貧しい女性がわずかな銅貨を投げ入れた時に、弟子たちに語ります。「あの貧しい女性は、だれよりもたくさん入れた。金持ちたちは皆、有り余る中から献金するが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたのだ。」
このイエスさまの言葉を聞いて、私たちは何に気づくべきでしょうか。
「気前よく献金しなさい」とか「神さまのためにすべてを捧げなさい」などという安っぽいことを言っているのではないはずです。
貧しい身なりの、わずかな献金しかしできない人をバカにしてはいけない、と言っているのです。
何もできない人、その社会の中で少しも貢献していないように思える人、そういう人のことを、私たちは、いとも簡単に軽蔑し、無視してしまうのです。
その人の人生が、私の人生とまったく同じように、尊く、かけがえのないものであることを忘れてしまうのです。
でも、この祝福の言葉のなかで、もっと大切なのは、そのあとに続く31節の言葉です。
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」だというのです。
イエスさまの思想は、すでにこの老人の言葉の中に用意されていたのです。
子育てに関しても、親だから子どもを自分の思い通りにしてもいいなどとは、まさか誰も思っていないはずですが、知らず知らずのうちに、無理な要求をしていたり、親の理想を押しつけたりして、子どもの人格を無視するような対応をしてしまうことがありうるのです。
子育てこそ、人のいのちの尊さに気づかせていただく最大のチャンスです。わが子の成長を通して誰もがそう感じていると思います。この一年、子育てを通して、私は成長したでしょうか。子どもが成長したのと同じくらい私も成長しているでしょうか。ただ子どもと向き合うだけでなくて、幼稚園や保育園や地域ぐるみの子育ての環境の中で人とかかわりながら過ごすことで、私たちは、たくさんの大切なことに気づかせてもらっているのです。
一人ひとりに与えられている人生をお互いに最大限尊重する姿勢を身につけていきましょう。
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