御存じのように、クリスマスはイエスさまの誕生日です。
お産のあと、当時のイスラエルでも、日本のお宮参りのような習慣があって、イエスさまの家族も、習慣どおりに神殿に出かけました。
そのとき、シメオンという古老がやってきて、彼らを祝福するのです。
祝福の最初の言葉はとても美しいことばです。
「私はついに、待ち望んでいた神の救いを見せていただいたので、神さまどうぞ、もう、この世から去らせてくださって結構です」と祈るのです。
目の前の赤ちゃんは、自分にとっては救いのメッセージだと言えるほど素晴らしい存在だと言っているのです。
でも、この祝福の言葉のなかで、もっと大切なのは、そのあとに続く31節の言葉です。
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光」だというのです。
イエスさまの思想は、すでにこの老人の言葉の中に用意されていたのです。
イエスさまは、すべての人は、父である神が出会わせてくださる大切な存在だという姿勢で臨みました。
そうであるなら、皆救われなければならないと説かれたのです。
そして、そのためには、自分の正しさや偉大さを見せつけて相手を説き伏せるのではなく、どこまでもへりくだることによって、すべての人が、神の前で同じだけ価値があるということを示されたのです。
誰かが威張れば、とたんに序列が生まれます。
でも、誰か一人が謙虚になれば、とたんにすべての人が、同じレベルに立つことになるのです。
逆の序列が生まれるのではなくて、すべての人の存在価値が底上げされるのです。
これこそが、イエスさまのおっしゃりたかったことなのだと思います。
しかもそれは、イエスさまの独自の悟りなどではなく、シメオンの「万民のための救い」という願いのなかにすでに用意されていたものなのです。
謙虚になるのに努力はいりません。シメオンのように目の前の相手の素晴らしさを認めればいいのです。
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