学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載37
虚心坦懐
ルカ福音書17章5−6節

細井保路
                

   「からし種一粒ほどの信仰があれば、木に向かって『海に根を下ろせ』と言えばそうなる。」とイエスさまは言われました。 別の箇所では、「からし種ほどの信仰があれば山が動く」とも言われています。 からし種という植物は、日本ではあまり馴染みがありません。「芥子粒ほどの」と言いかえてもいいかもしれません。 信仰が篤いとか、深いとかいう言い方がありますが、信仰心に大小の区別があるわけではないのです。 信仰心とは、わだかまりのない心のことです。わだかまりのない心を持っていれば、ものごとはおのずと良い方へ展開していきます。 だから、虚心坦懐であれということなのです。

   ところが、私たちは、なかなかそういう晴れ晴れとした気持ちでものごとに向かうことができません。 不安や恐れや焦りをどうしても抱えてしまうのです。 子どものためを思う気持ちが大きくなり過ぎると、私がいなければいけない、私がなんとかしてあげなければいけないという思いが強くなり、かえって子どもを縛ることになってしまいます。 これだけしてあげたのだから、ちゃんと応えてほしいという要求が強くなってしまいます。 知らず知らずのうちにため込んでしまっている怒りや恨みが、私たちの心の動きの邪魔をしていることもあります。

   どれほど熱心に祈ったりすがったりしてみても、怒りや恨みや悲しみを抑え込んだままならば、決して晴れやかな気持ちにはなれません。 しかし、わだかまりを解き放ってしまうのはそれほど簡単なことではありません。 「芥子粒ほどの信仰でよい」とイエスさまがおっしゃる意味は、重たい「信仰心」でわだかまりに蓋をしてしまったのでは何の解決にもならない、 元も子もないということなのです。ありのままの自分でよいのだと悟ること、傷つけられたと思っていても実は大切なものは失われていないと気づくこと、そういうことを通してわだかまりのない晴れやかな心を手に入れていくことこそが大切なのです。


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