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書き下ろし連載34
感謝と謙虚
ルカ福音書18章9−14節

細井保路
                

   イエスさまは、他人を見下している人のために、一つの話をなさいました。2人の人が神さまの前で祈るという話です。1人は、自分が立派に生きていることを神さまに感謝し、ついでに、そばにいるもう1人の人の生き方をバカにします。それとは対照的に、もう1人の人はうつむいて、ひたすら「罪深い私を憐れんでください」と祈ります。そして、後者がすばらしいとイエスさまは言われるのです。

   自己卑下がよいと言っているのではないのです。人を見下さないことが大切なのです。誰でも、自分が軽蔑されることにはとても敏感なのに、知らず知らずのうちに人をバカにしていても気づかないでいるのです。

   そして、その間違った生き方は、「感謝」についての考え違いから生じるのです。感謝することは大事なことですが、このたとえ話の登場人物のように、自分が見下している人と比べて、その人よりましな生き方ができていることを感謝するというのは、確かに変です。「ほかの人よりまし」というのは、感謝ではなくて優越感でしかありません。

   感謝の念の根拠は、自分の手柄だと誇れるようなものは何一つない、何も持たない、何者でもないこんな私に、神さまがたくさんの恵みとたくさんのチャンスを与え続けてくださっていることなのです。だから、「感謝」と「謙虚」は同じ感情の裏と表だと言ってよいでしょう。深い感謝の念には、必ず申し訳なさが張りついているはずです。その申し訳なさを、たとえの中の登場人物は、「罪深い私を憐れんでください」という言い方で表現しているのです。

   感謝と謙虚がひとつのことであるなら、いつも遠慮深く頭を下げているよりも、顔を上げて、明るく感謝して生きる方がいいに決まっています。おおいに感謝して毎日を過ごしましょう。もちろん、その感謝が、人を見下した優越感にすり変わらないように気をつけている必要があります。


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