目の見えない人が癒されるという奇跡の話が聖書に書かれています。
同じエピソードは他の福音書にも書かれていて、そこでは
「あなたの信仰があなたを救った」というイエスさまの言葉が記されています。
あるいは、別の奇跡の話では「信じているとおりになるように」という言葉が
添えられています。
「信仰」といっても、このエピソードに登場する人たちが、特別に聖書の知識が
あったわけではありませんから、神さまのことをよく知っていることが信仰
なのではないのです。では、イエスさまは、何が信仰だとおっしゃりたかったのでしょうか。
自分の思いを正直に神さまに伝えようとすることこそが「信仰」なのです。
本当なら、人間同士も、お互いに本音を伝えあえればいいのですが、
うっかり正直に話すと笑われたり、そのあとで考え方が変わっても、
「お前は、前にこう言ったではないか」と決めつけられてしまったりするので、
結局、正直な思いは、空回りしてしまいがちなのです。
この話の中でも、周囲の人たちは、助けを求める盲人を黙らせようとするだけです。
無駄な騒ぎとして、切り捨てようとするのです。しかし、イエスさまは、彼らの声に
耳を傾けられます。今の状況から抜け出したい、変わりたい、という願いを、真っ直ぐに
受け止める相手がいれば、人は本当に変わることができる。それが奇跡のエピソードの
意味なのです。
わたしたちは、自分自身についても、「もう変われない」とあきらめてしまいがちです。
もっと良くなろうと思っても、周囲がレッテルを貼って、決めつけてしまえば、
変わることは本当に難しくなります。どんどん良い方向に変わっていくことを前提にして、
今の真剣な思いを受け止めてあげることが、子どもたちにとってどれほど
大切なことであるかをあらためて思い起こしましょう。決めつけたり、バカにしたり
することがないように気をつけましょう。
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