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書き下ろし連載23
ゆるす人になる
マタイ福音書7章1〜5節

細井保路
                

   「人の目にあるおがくずは見えるのに、なぜ自分の目にある丸太に気づかないのか。」とは、 裁いてはならないというイエスさまのことばの中に出てくる表現です。 ほんとうに大げさな言い方ですが、なるほどと納得できることばでもあります。 人の小さな欠点や失敗は気になるものですが、自分のことは、案外大きな問題があっても、 気づかないものです。気がついても、自分のことは棚に上げてしまいたいのが私たちの弱さでもあります。

   自分自身のことを振り返ってみるならば、子どもの頃にたくさんの失敗や間違いをしたけれど、 叱られることはあっても、必ずゆるされ、受け入れられてきたことに気づきます。 もし、些細なミスを決してゆるさないと言われたら、私たちは、相手を恨んだり、 その辛さから逃げるためにさらに間違いを犯したかもしれません。残念ながら、 そういう体験をした人も多いのです。

   「裁くな」ということは、「ゆるせ」ということでもあります。実際、同じ内容が書かれている ルカの福音書の箇所では、「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。 ゆるしなさい。そうすればあなたがたもゆるされる。」と続けて書かれています。

   ゆるされているという感覚は、つまり、自分が今ここに存在することが素晴らしいことであり、 安心してこの場所にいてよいという実感を持つことです。その、当たり前の感覚を不幸にも 十分に感じられない人はどうすればいいのでしょうか。 その答えが、「裁くな、ゆるしなさい」というイエスさまのことばなのです。 ゆるされていないと感じれば辛いし、ゆるせないと思えば苦しい。 だから、あなた自身が「ゆるす人」になってしまいなさい、とイエスさまはおっしゃるのです。

   これは、だまされたと思ってやってみる価値があります。ゆるした瞬間に、自分自身がゆるされ、 祝福されているという感覚を手にすることができるはずです。


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