人として、「殺すな」というおきてを守るのは、当たり前だけれど、
その規則を破って後ろ指をさされるのがいやだから守るのではなく、
「相手を最大限に尊重すること」こそが、規則の目的だと気づきなさい、
とイエスさまは言われました。
イエスさまは、極端な表現を使いますが、何が問題なのかは、とてもよくわかります。
この聖書の箇所をまとめると、以下のようになります。
昔から「人を殺した者は裁きを受ける」と言われるが、人のことを「バカ」「愚か者」と言う者も、
地獄に落とされる。また、昔から「姦淫するな」と命じられているが、みだらな思いで人の妻を
みることも、離婚することも、いわば「姦通」である。
こんな言い方をされると、世の男性は、もうお手上げです。でも、イエスさまが言いたいのは
「相手を最大限に尊重すること」なのであって、実際に犯罪に手を染めなくても、
皆同じ穴のムジナだ、という意味ではないのです。ましてや、聖書を振りかざして、
「聖書に書いてあるのだから、離婚は罪だ」などというのは、もってのほかです。
人が本当に大切にされないなら、離婚したほうがいい場合だってあるのです。
すべての人間としての規範は、お互いに「相手を最大限に尊重すること」のためにあり、
その限りで、意味があるのです。
私たちは、実に多くの思い込みに支配されています。ここで言われているような、
殺しや盗みさえしなければいいという思い込み。いい学校を出て、いい仕事につくことが
大事だという思い込み。人が改心するためには、厳罰に処せばよいという思い込み。
なんとしても家系を絶やしてはならないという思い込み・・・。社会通念という名で
押し付けられている様々な思い込みの他に、他人に聞かせれば笑われてしまうような、
私だけの思い込みもあります。でもそのために、お互いの人格の尊厳が傷つけられる
ようなことがあってはならないのです。
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