「あなたがたは世の光である」とイエスさまは言われます。
そしてさらに、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」と言われます。
だから、立派に輝かなければ、と考えてしまいがちです。
しかし、イエスさまは、「光になりなさい」とおっしゃっているのではなく、
「あなたがたは、この世に生を受けた瞬間から、光なのですよ」と
おっしゃっているのです。そこを読み違えないようにしなければなりません。
必ず誰かを照らし、誰かを支える存在として、私たちは生を受けているのです。
努力をする以前に、すばらしい存在なのです。それをありのままに輝かせなさい、
とイエスさまは言われるのです。
灯した明かりを、覆いで隠すような愚かなことはしないのに、
輝く人の存在は、無視したり、傷つけたりしてしまうのが、人間の愚かさだと
おっしゃるのです。
「光」のたとえだけでなく、「塩」のたとえも話されます。
塩は、他の食べ物に味をつけ、他の食べ物が腐るのを防ぎます。
そのように、人は一人ひとり、例外なく、誰かを生かすのです。
自分で気づいていなくても、誰からも認められなくても、
必ず誰かを支えているのです。
私たちは、誰に出会う時でも、このことを忘れないように
したいものです。存在価値のない人など一人もいないのです。
もし、そういう評価がくだされるとすれば、それは、誰かが、
その人の存在価値を無視したり、否定したりしているからなのです。
自殺願望のあるひとは、かならずこの冷たい否定に出会っています。
人生を楽しむことのできない人は、人から受けた冷たい
否定にとらわれているのです。その苦しみを克服するためには、
その人の中の「光」を誰かが認め、受け入れ、輝くようにする
以外にないのです。
わが子の中の「光」に気づいていますか?よそのお子さんの中にも「光」を認めていますか?
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