イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、
ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのを
ご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。
人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。
そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのをご覧になると、
彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
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イエスさまについて行った人はたくさんいたようですが、イエスさまご自身は、
その中から12人を特別に選んで行動を共にさせ、大事なことを教えられました。
そのうちの4人はガリラヤの湖で魚を捕る漁師でした。そして2組の兄弟でもありました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」というのが、
イエスさまの呼びかけでした。魚を捕る仕事と、救いのメッセージを伝える
仕事とは何の関係もないように思えますが、イエスさまは、彼らの今までの
生活がすべて、大事な仕事の準備になっているということにも気づかせたかったのだ
と思います。このことから、わたしたちの日常の生活や努力が、心豊かな生活に
とっていかに大切であるか、いやむしろ、無駄になるものはひとつも無いという
ことに気がつきます。辛い経験でさえも、何かのための重要な準備となりうるのです。
だからこそ、子どもたちが日々のあたりまえの生活をていねいにすごすことは
大事なことなのです。先を見越して詰め込み教育をするより、きょう一日子どもが
心行くまで遊べたとか、お母さんと一緒に笑えたとかいうようなことの方が、
その子の将来のためには大事な準備なのです。
親自身も、今の生活では自己実現できない、自分の本来の力を発揮できない、
などと不満を抱えて生きるのではなく、家事や子育てをこなさなければならない
生活に、喜びや驚きを見つけながら続けていけば、知らないうちに、さなぎが
蝶になるような、晴れやかな心の変化を手にすることができるはずです。
だからと言って、毎日をすみずみまで充実させ全力投球する必要もありません。
のんびり魚を捕っていた若者たちがイエスさまと出会ったように、わたしたちも、
子どもと一緒に楽しく生活しながら、出会うことすべてが成長の糧であることを
忘れないようにしているだけでいいのです。2009年を前向きな心をもって
過ごしましょう。
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