学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載11
祈る姿勢
マタイ福音書6章5〜8節

細井保路
                

   先月、「主の祈り」が書かれている聖書の箇所を読みました。 今回は、その直前の言葉を読みましょう。

   祈る時には、人に見せびらかすな、むしろ、部屋の戸を閉めて密かに祈りなさい、 とイエスさまは言われました。さらに、くどくどと祈るな、神さまはあなたの望みを ご存知なのだから、とも言われ、長々と祈る代わりに「主の祈り」を教えられたのです。

   実際、わが子が急に病気で入院してしまったときなどに、私たちの心の内に湧いてくるのは、 「助けてください」という言葉だけです。本当に切実な祈りには、飾り立てるような余計な 言葉はないのです。 つまり、祈るとは、正直な気持ちになるということなのです。そうであるならば、 なにも特定の宗教を持たなくても、神さまを信じると言いきれなくても、 深い祈りはできるのです。

   人の目を意識したとたんに、私たちは、ありのままの自分でいられなくなります。 相手の評価が気になって、余計な気遣いをしてしまいます。よく見せようという欲が 働いたとたんに、その欲が満たされていくのです。その状態をイエスさまは、 「既に報いを受けてしまった」と表現します。その代償として、正直な自分を見失って しまうのです。

   だから、ちょっと極端な言い方ですが、「部屋に入って戸を閉めて祈れ」と 言われるのです。すべてをご存知の神さまの前では、取り繕うことも、 言い訳をすることも必要ないのです。弱さは、弱さのままでいいのです。

   祈ることは、正直になることだと言いましたが、さらに言えば、祈ることは、 いつでもありのままの自分でいられるためのエクササイズだとも言えます。 無理をせずに、謙虚さと穏やかさをいつも保って過ごせるために、祈ることが 大切なのです。 たとえば、食事をするときの「いただきます」という言葉に、今までよりも ちょっと心を込めてみるというようなことだけでも、こころがけてみましょう。


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