あるときイエスさまが、家の中で話していると、病気が治るという噂もあって、
たくさんの人が集まって来ました。4人の男が寝たきりの仲間を担架で運んで
来ますが、とても家に入れません。そこで、屋根を壊して中にいるイエスさまの
目の前へ吊り下ろすという暴挙に出ます。イエスさまは、彼らの熱意を
認めてあげるだけでなく、その病人に、「あなたはゆるされている」と
声をかけます。
そばで聞いていた人たちは、「神でもないのに『ゆるす』とは何ごとか」と
文句を言います。すると、イエスさまは、「この人に、『ゆるされているよ』と
言うのと、『さっさと起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか?」と
謎をかけます。
自分自身が弱り果てて、もう立ちあがることができないという状況を
想像してみてください。その時に、「ゆるされている」つまり、
「そのままでいいよ」と言われるのと、「みんなが、ちゃんと歩いているのだから、
おまえもしっかりしろ」と叱られるのと、どちらが慰めになるでしょうか。
人は、寛大なゆるしに出会うことで、本来の自分を取り戻し、
力を発揮することができるのです。カウンセリングなどでも、
よく「ありのままを受け入れる」と言います。しかし、何でもかんでも
許されるということでは困ります。やってはいけないことでも
許されるわけではありません。肝心なことは、弱っている時には、
大きな温かさが、まず必要だということです。
当り前のことなのに、私たちはこの原則をすぐに忘れてしまいます。
泣きたい気持ちでいっぱいの子どもに向かって、「泣くな」と叱りつけたり、
自分の失敗でしょげている子どもに、追い討ちをかけるように
「どうしてこんなことしたの」と責めてしまったり。
「そのままでいいよ」とおっしゃったイエスさまは、続けて病人に
「起きなさい」と声をかけます。受け入れてくれる大きなものに
出会うことで、人の力は回復するということを思い出させてくれる
エピソードです。
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