季節によってよみたくなる絵本というものがあります。
冬になり今にも雪がふりそうな夜に、きまってよみたくなるのがこの絵本です。
表紙に描かれたいろりばたのなべからもくもくとあがっているゆげを見ているだけで、
あたたまってくるきがします。でも、これはおおかみが主人公の絵本。
絵本の中のおおかみはわるものにきまっている?!さて、どうでしょうか・・・・。
うしのまんさくとっつあんとおおかみのじろきちは、
やまのなかでふたりだけでくらしています。
そんなあるゆうがた、さびしいとうげのみちばたで、
おんなのこがひとりぽっちでないていた。とおりかかったのがおおかみのじろきちです。
じろきちが、なにをきいても、おんなのこはなくばかり。
あたりもくらくなり、じろきちはおんなのこをつれてかえりました。
おどろいたのはまんさくとっつあんです。・・・
いったいじろきちは、どうするつもりなんだろう・・・・
じろきちは「あかいほっぺがうまそうだ」とほうちょうをとぎはじめました。
やっぱりじろきちはおおかみ、おんなのこはたべられてしまうんでしょうか・・・!?
ところがまんさくとっつあんはこんなことをいうのです。
「いま、くっちまえば、ほんのひとくちだぞ、おおきくそだててからくったほうが
とくじゃないかねえ、三ねんもっすりゃあ、ばいになる」とたばこをぷかり。
「さすが、とっつあんはちえがある。三ねんそだてりゃ たらふくくえる」とじろきち。
それからというもの、じろきちはおんなのこがおおきくなるのがたのしみで
つきっきりでせわをしました。そうして三ねんがたちました。
たべものがなくなったゆきのよる、とっつあんが「くうものがあるぜ。
すっかりおおきくなって、たべごろだ。」おんなのこをだいていたじろきちは・・・・・・。
この絵本の中には『育む』という大切な思いがこめられています。
昔から「親がなくとも子は育つ」などと言われたりしますが、
日々世話をして守り続ける存在がなければ子どもは育ちません。
じろきちは、毎日女の子のそばによりそい、手をかけて世話をします。
そうすることでじろきち自身が気づかないところで、女の子を愛しむ心がうまれてきます。
それが「育む」喜びであり、「子育て」の楽しさです。何人子どもがいても、
一人一人との時間の流れ方は全く別のものです。その時間の中で子どもは親を確かめ、
安心して生きていくことができます。そして親も、その「育む」時間の中で少しずつ
一人一人の子どもの親になっていくのだと思います。たとえ子どもがどんな状態であろうと、
成長して親に反抗するようなことがあろうと、親の子どもに対する想いに変わることは
ありません。親と子は互いのかかわりの中で想いを「育んで」いくのです。
子どもは親を選んで生まれてくるとも言われます。
―わが子へ・・・私の子どもとして生まれてくれてありがとう、私を選んでくれてありがとう。
(赤鬼こと山ア祐美子)
戻る