「敵を愛し、あなたを侮辱する人のために祈りなさい。
右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい。
人にしてもらいたいことを人にしてあげなさい。
お返しを期待せずに与えなさい。
神さまは、恩知らずの人にも、悪人にも、情け深いのです。
神さまのようにあなたも憐れみ深い人になりなさい。」
この箇所のイエスさまの言葉を要約してみましょう。
自分によくしてくれる人に報いるのはあたりまえで、
そこからは何も生まれない。損をしていない人間関係、帳尻が合ってしまっている人間関係は、
ただそれだけのものだ、とおっしゃるのです。
あきらかに、こっちの割が悪いとき、そこに「恵み」や「ゆるし」が生まれるのです。
これは、実は、誰もが当たり前に体験していることです。子育てをしている私たちは、
自分の力や時間を、子どものためにたくさん使っても「損をした」とは思わないはずです。
子育てを通して、私たちは、とてつもなくスケールの大きな愛を身につけるのです。
その愛を、わが子だけにではなく、誰に対しても持つようにしなさいとイエスさまは
言われるのです。何で自分だけがこんなに損な立場に立たされるのだろう、
と思うような時に、おまじないのようにこの聖句を思い出しましょう。
「神さまは悪人にも情け深い」。
そして、「よし、全部ゆるして、こだわるのはやめよう」と思ってみましょう。
「敵を愛する」ことは、やせ我慢であっては意味がありません。子どもたちがケンカをしたら、
「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」などと教えてはいけません。
卑屈になるくらいなら、殴り返したほうがいいのです。ここで言われていることは、
あくまでも、「とんでもなくおおらかになれ」ということなのですから。
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