先月の「放蕩息子のたとえ話」をもう一度読んでみましょう。今度は、お話の中に出てくる、お父さんの行動パターンに注目してください。
弟は「お父さんに謝ろう」と決心して家に向かいます。敷居が高くなってしまった我が家のドアを開けるのは、勇気がいることです。しかし、トボトボ歩いてくる息子の姿を見つけたお父さんは、その息子の勇気を待たずに、自分から家を飛び出し、「走りよって首を抱き、接吻した」と書かれています。
外からドアを開ける勇気も大切ですが、このお父さんは、それより先に、内側からドアを開ける優しさを示すのです。
何かの拍子に、仲間はずれになったり、すねて遊びの輪に入らない子どもが時々います。自分から勇気を出して遊びの輪に入っていくことも大切ですが、誰かが気づいて、その子を招き入れてあげる優しさを育てることも大切です。そして、まず先に、優しさに迎え入れられる体験がなければ、
思い切って飛び込んでいく勇気は育たないことでしょう。
さて、お父さんと兄の場合も見てみましょう。あきれるほどのお父さんの優しさに腹を立て、兄は、すねてお祝いの席に入って来ません。自分からドアを開けて一言「お帰り」と言う勇気があれば、自分もそのお祝いの輪に加わることができるのに、どうしてもその一歩が踏み出せないのです。
そのとき、ここでもやはりお父さんのほうからドアを開け、息子を招き入れるのです。
人と人との間に、壁ができてしまうとき、誰かがドアを閉ざしてしまうとき、外から開ける勇気か、内側から開ける優しさかが必要です。そして、まず、内側から開ける優しさを体験することがとても大事なのだとこのたとえ話は教えてくれています。
わが子が、勇気をもって人の中に飛び込んで行けるように育つために、親はもっともっと心を開かなくてはいけません。
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