学校法人 聖愛幼稚園
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書き下ろし連載五十八
神にかたどって

新堀邦司
                
神は御自分にかたどって人を創造された。
(創世記一章二七節)

「ママ、ももちゃんね、幼稚園で礼拝を守っていると、悲しくないのになぜか涙がでてくるの」
ある日、幼稚園から帰ってきたもも子(仮名)は、母親にそう話しかけました。
「それはね、ももちゃんと神様が近づいたということだと思うわ」
母親の言葉に、ももちゃんはうれしそうに笑いました。

   私の娘は、あるキリスト教主義の幼稚園の教師をしています。娘は、帰宅すると、 その日幼稚園であった出来事を家族に話してくれます。クラスに、もも子という名の 園児がいる。この子は聖書の話しがとても好きで、いつも熱心に礼拝を守って いるそうです。もも子ちゃんらしいこころのあたたまるお話しだなと思いました。 それに、母親の受け応えにも感心させられました。 母親は続けてこう言ったそうです。
「ママもね、教会のような神聖な場所に行くと、ありがたくて時々涙が出そうになることがあるわ」
この母親にしてこの子あり、ということでしょうか。 子どもは小さいから神様のことはよくわからない、と考えたら、それは間違いです。 子どもは子どもなりに神様のことがわかり、慕っています。神様から愛され、 守られていることを知っているのです。もも子ちゃんは、神様が好きで、身近に感じて、 感謝のこころを持つことができる子どもなのです。

   旧約聖書の創世記には、神が万物を創造され、最後に人間を創造された話しが書かれています。
「神は御自分にかたどって人を創造された。」
「かたどる」とは、どういうことでしょうか。古い聖書では次のように訳されています。 「神その像(かたち)の如くに人を創造(つくり)たまえり」。人間は「神の像」に似せて 創られているということです。「神の像」とは何か。「神の像」(イマコ・デイ)を めぐっていろいろな議論が交わされてきました。ある人は、人間の顔や姿が神に似せられて いるのだと言いました。そうかも知れません。別の人はラテン語の「イマゴ・デイ」に 注目しました。「イマゴ」は英語の「イメージ」と同じことなので、顔や姿ではなく、 「神のイメージ」に似せて創られた、と説明しています。私は後者の考え方を採っています。

  「イメージ」とは何でしょうか。「応答性」「人格性」ということだと考えます。即ち、人間は、 神様に向けて、神様に応答して生きるように創られているのです。人格というのも、 自分と他者が向き合い、言葉を交わし、こころが響きあう中で輝きます。 私たちは神様のことをいつも身近に思うのは、もともとそのように創られているからです。 「祈り」は、神様との言葉のやりとり、「応答」です。私たちは神様に祈るように創られているのです。 ですから、祈ると、深い平安と満たされたこころが与えられるのです。

   もも子ちゃんは、神様との応答にしっかり生きている子であると思います。 礼拝を守っていて、神様を身近に感じ、感謝の涙が湧き出してくるというのは なんとすばらしいことでしょうか。きっと、神様はもも子ちゃんの涙を 喜ばれていると思います。 小さな子から、神様のことを学ばされる、というのもよいお話です。 皆さんも、お子さんとこんな会話を交わせるとよいですね。


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新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生

1941年2月 埼玉県に生まれる。
1963年 中央大学法学部法律学科卒業
2002年 本園の「せいあいだより」に寄稿開始。
恵泉女学園事務局長。俳句結社「日矢」同人。
著書:『青年の使徒』,『宣教師に育まれた料理人』,『海のレクイエム』
『愛 わがプレリュード』,『野尻湖物語』,『神を讃う』ほか




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