恐れるな、わたしはあなたと共にいる。
わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り
西からあなたを集める。
(旧約聖書イザヤ書四三章五節)
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「希 望」
キリストよ
いつも
わたしのうちにいてください
キリストよ
どこへいく時にも
わたしをみちびく
光であってください
キリストよ
たえず わたしを
支える力となってください
キリストよ
あなたこそ
わたしの
唯一の希望なのです
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「希望」と題したすばらしい詩です。
この詩を書いたのは本田清一牧師でした。本田清一牧師はわたしの恩師です。
小学校時代、わたしは日野台教会(東京都日野市)の教会学校で、本田牧師から
聖書のお話をたくさん聴く機会を与えられました。確か、本田先生の先祖は
山梨県の出身だったそうです。そのせいか、いつも甲斐の空のように澄んでいて、
詩のような清らかな魂の持ち主でした。神さまに対する幼子のように素直な
信頼(信仰)にはこころ打たれるものがありました。
あとになって本田先生が詩人であったことを知りました。先生は、生涯を
伝道者として歩み、人びとに神さまの愛と希望を語り伝えました。伝道に
寄せる思いと神さまへの信頼は、いくつもの詩となって人びとの魂を
打ちました。その珠玉の作品を集めたのが詩集「祈りの炎」でした。
ここに紹介した「希望」は「祈りの炎」に収められているわたしの好きな詩です。
この詩には、神さまに寄せる素直で、それでいて揺るぎのない信頼が詠われています。
「いつも わたしのうちにいてください」「どこへいく時にも わたしをみ
ちびく 光であってください」「たえず わたしを 支える力となってください」と
キリストに呼びかけ、結びの言葉として「あなたこそ わたしの 唯一の希望なのです」
と訴えかけています。これは詩でありますが「祈り」そのものです。
本田清一牧師は伝道者としての生涯を全うし、珠玉のような信仰詩を
たくさん遺して、昨年秋に天国に還っていきました。九六年の生涯には
あまねく神さまの愛が注がれているように思いました。わたしは「祈りの炎」を
手許に置いて、朝な夕なに読んで勇気づけられています。
少しでも先生に倣って神さまへの素直な信頼に生きたいと願っています。
先日、東京の阿佐ヶ谷教会で前日本銀行総裁の速水優(はやみまさる)先生の講演を
聞きました。速水先生は今から六〇年ほど前にこの教会で洗礼を受けました。洗礼を
授けたのは山梨県出身の大村勇牧師でした。以来、どんな時にも神さまから離れる
ことなく信仰者として歩んでこられました。先生が日銀の総裁に就任された時は
バブル経済が崩壊した直後でした。日本の金融、経済の建て直しという最も困難な
課題を引き受けられたのです。それは、重い十字架をいくつも背負って歩むような
道程でした。このような困難な道程を支え、力づけ、希望を与えてくださったのは
信ずる神さまでした。非常に困った時や国会で厳しい、難しい質問を受けた時には、
「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」(イザヤ書四三章五節)の聖句を思い出
して、心の平安を得たということです。
速水先生を支え、勇気づけたのは三つの言葉でした。一つは、今紹介した
「主、共にいます」、二つ目は「主、われを愛す」三つ目は
「主、すべてを知りたもう」。神さまに寄せる絶対の信頼は、本田清一牧師の詩に
通じるものがあります。
わたしたちの人生はいつも順風満帆ではありません。時として、非常に落ち込んだり、
苦難にこころが潰されそうになったりします。しかし、神さまはわたしたちを苦しみ
や悲しみの世界に放置しておく方ではありません。最も困窮して絶望しそうになって
いるわたしの傍に共にいて、支え、力づけ、希望を与えてくださいます。
イエス・キリストはどんな時にもわたしたちと共にいてくださいます。
イエスが聖霊によって母マリアの胎に宿った時、主の天使は次のように告げました。
〈「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は「神は我々と共におられる」という意味である〉(マタイによる福音書一章二三節)
キリストよ
いつも
わたしのうちにいてください
キリストよ
どこへいく時にも
わたしをみちびく
光であってください
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「希望」と題した詩の一節を思い出しながら、わたしたちもそのように
祈りたいものです。
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新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生