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書き下ろし連載四十三
神即愛也

新堀邦司
                
神は愛です。
(ヨハネの手紙一 四章一六節)

   キリスト教はどのような宗教でしょうか。 一言でいえば「愛」の宗教です。冒頭に掲げた「神は愛です」は誰にでも 知られている有名な聖句です。神が無限の愛をわたしたちに示すために、 この世に遣わされた方がイエス・キリストです。 「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネによる福音書三章十六節)

   神の愛とはどのようなものであるか。わたしたちはイエス・キリストの御言葉と 行いを通して神の愛を知るようになります。神の愛はわたしたちの生き方を変え、 人生の豊かな実りを結ぶように導いてくれます。

   世の中にはいろいろな宗教があります。古くから信仰されている宗教もあれば、 最近になって登場した宗教もあり、その実態は様々です。 ところで、宗教には発達段階があり、神々も生ける存在として進化、発達している ことを知りました。朝日新聞の「こころ」編集長を務めていた菅原伸郎氏は 宗教をよく研究された方で、現在、大学で若い人たちの指導にあたっています。 菅原氏の最近の著作に「宗教の教科書12週」があります。この本の最終章で 「畏敬の念」について大変興味深いことを書いています。結論からいえば、真の 宗教は人間から「畏れ」を取り去り、平安と愛を与えるものだということです。 古代から人間は自分を超える神秘的で、大きな存在(神)を畏怖(怖い)して きました。人間にとって神は近寄りがたい、恐るべき存在でした。 原始的宗教にとって神は畏れ(恐れ)の対象でした。仏教の場合はどうでしょうか。 仏典には「畏」のつく言葉はほとんど見当らないそうです。「施無畏」(せむい)と いう言葉とがありますが、これは観音様の別名です。観音様の教えは「畏れるな!」であり、 人間に平安と救いをもたらすものです。

   キリスト教の神はどうでしょうか。イエス・キリストが生まれる前にまとめられた 聖典(旧約聖書)を調べてみると「畏れ」という言葉は二六三回も出てきます。 ところがイエス・キリストが登場された後にまとめられた新約聖書には二五回しか出ていない。 イエス・キリストの言葉や行いをじかに書いた福音書にはたった三回しか出てきません。

   よく言われることですが、旧約聖書の神は「父権的な神」であり、人間にとっては 「畏れの神」でした。それとは対照的に、新約聖書の神は「母性的な神」、「愛の神」と して書かれています。この相違は何に由来するのでしょうか。それは、イエス・キリストに とって神は畏れるものではなく、愛そのものであったからです。実際、イエス・キリストは 「畏れ」を口にしませんでした。小さく、弱い、また罪深い人間を神様の無限の愛で包む、 希望と勇気を与えてくれた方でした。

  旧約の神から新約の神への進化。イエス・キリストを通して、わたしたちは 神様の愛がいかに大きく深いものであるかを教えられます。また神様は活きておられ、 絶えず進化されつつ、今、ここに生きているわたしたちを愛し、共に歩まれていることを 教えられます。 わたしたちは活ける神によっていつも守られているのです。何も恐れることはありません。 安心し、喜びをもって毎日を過ごしましょう。 「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」(ヨハネの手紙一 四章一八節)


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新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生

1941年2月 埼玉県に生まれる。
1963年 中央大学法学部法律学科卒業
2002年 本園の「せいあいだより」に寄稿開始。
東京YMCA学院院長。俳句結社「日矢」同人。
著書:『青年の使途』,『宣教師に育まれた料理人』,『海のレクイエム』
『愛 わがプレリュード』,『野尻湖物語』,『神を讃う』ほか




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