学校法人 聖愛幼稚園
〒400-0071
山梨県甲府市羽黒町618
TEL 055-253-7788
mail@seiai.net



聖書のお話
書き下ろし連載三四
ザアカイ急いで降りて来なさい

新堀邦司

                
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 そこにザアカイという人がいた。 この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、 群衆に遮られて見ることができなかった。 そこで、イエスを見るために、走って先回りし、 いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に 泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
(ルカによる福音書十九章一〜六節)

  今日と同様に、イエスの時代にも心の悩み、 人生の重荷、身体の障害や治りにくい病いに苦しんでいる人が たくさんいました。それらの人々は、幸いに、イエスと出会うことに よって長年の苦しみから解放され、希望と愛に満たされて生きる ことができるように変えられたのです。

  今回、取り上げたザアカイの話もその一つです。 ザアカイはエリコという町に住んでいた徴税人の頭でした。 町きっての大金持でしたが幸福ではありませんでした。おそらく、 町の人々から尊敬されず、心を許し合える友人もいなかったからでしょう。

  ザアカイが住んでいたエリコは緑豊かなオアシスの町です。 九千年近い歴史を持つ世界最古の町です。現在は、パレスチナ 開放機構(PLO)の本部が置かれています。私は十年ほど前にエリコを 旅したことがあります。砂漠と荒野の中にあるエリコは今も泉がこんこんと 湧き、町中にナツメヤシが茂り、いちじく桑の木々の葉が涼しげな風を 呼んでいます。いちじく桑というのは、普通のいちじくの木より 大きく堂々とした樹木です。鎌倉の鶴岡八幡宮の石段の脇にそびえている 大銀杏を想い浮かべていただければその大きさがわかります。大人が数人 よじ登ってもびくともしません。背の低いザアカイがイエスを見ようとして この樹にのぼったのもうなずけます。

  さて、ザアカイという男は徴税人の頭だったと書かれて います。この時代、ユダヤの国はローマ帝国の支配下に置かれていました。 庶民は高額の税金を敵であるローマ帝国に収めなければなりませんでした。 徴税にはユダヤ人があたっていました。徴税人は請負制でした。 ローマ帝国に請け負った額以上に、同胞からきびしく取り立て私腹を 肥やしていました。ですから徴税人は同胞からは裏切り者のように軽蔑 されていました。不正を行う者として「罪人」と呼ばれていたのです。

  ザアカイが何故、徴税という職業を選んだのかはわかりません。 背が低かったのがその理由かもしれません。子どもの頃から背が低かった ザアカイは、いつも回りから蔑まれていたのでしょう。そうした屈辱を 晴らすために、徴税人となって同胞に厳しくあたった。大金持になって 見返してやろうとした。この計画はうまくいきました。望み通りの大金持と なり、何一つ不自由なく暮らせるようになったのです。けれども、いくら お金がたまっても心は満たされませんでした。たまればたまるほど孤独感が 高まり、自分が不幸に思えてきました。気がつくと、心の許し合える友人 がひとりもいなかったのです。ザアカイは町中で一番不幸な人間になって いたのです。「こんな生き方を変える方法はないものか。」ザアカイは 考えました。お金ならいくらでもあるのに、友情とか信頼とか愛はお金では 買えないものだということがよくわかりました。そのことが気づいたのは、 ザアカイの心のどこかに、また、人間的な何かが残っていたからです。

  ある日ザアカイの耳に不思議な噂がきこえてきました。 なんでも、イエスという先生がいて、仲間がいなかったり、病気に患ったり して苦しんでいる人々を慰め、元気にさせているという噂です。 「罪人」と蔑まれている人間に対してもいっさい差別をなさらない。 それどころか、イエスはすすんで「罪人」のもとを訪ねたり、彼らを 招いたりして、食事を共にしておられるというのです。 「食事を共にする」というのは、人間として最も信頼感を表す行為でした。 ザアカイの知る限り「罪人」と食事を一緒にされる先生はイエスの他に 一人もいませんでした。「イエスに会ってみたい。そうすればこんな 自分も変えて下さるかもしれない。」いつしか、ザアカイはイエスに 憧れるようになっていました。出会いの日を心待ちにしていたのです。

  ついにその日がやってきました。 イエスは伝道旅行の途中、弟子たちを引き連れてエリコの町にやって 来られたのです。町中の噂となりました。人々は、一目イエスを見よう として表通りを埋め尽くしました。この時を待ちに待っていた ザアカイは表通りに走っていきました。けれども、哀しいかな。 すでに人々でいっぱいで、背の低いザアカイには人々の背中しか 見えなかった。あせった彼は、人込みの中を走り抜け、先回りして一本の いちじく桑の樹に必死でよじ登ったのです。ザアカイの小さな身体は、 いちじく桑の葉の隠にうまく隠れてしまいました。風にそよぐ葉の間から 表通りがよく見渡せました。「もう、大丈夫」ザアカイは両手でしっかりと 上の枝をつかまえ、両足を下の枝に乗せてイエスがやって来るのを 待ちました。ザアカイが登ったイチジク桑の樹のまわりは人々で ごったがえしていました。ザアカイが樹に登っていることに気づいた人は 誰もいません。

  やがて、表通りをこちらにやって来るイエスの姿が見えました。 姿が近づくに従い、ザアカイの胸は高鳴りました。想像していた通り、 いやそれ以上に、イエスは優しさに満ちた顔立ちをしていました。 大工出身のイエスはがっしりした体つきをしていました。力強い大きな手。 「あの手に触れていただくだけで私の何かが変えられる。」 けれども表通りは人々でいっぱいで樹を下りることができません。 千載一隅のチャンスが目の前を通り過ぎていってしまう。 「もはや、これまでか。」ザアカイが思わず天を仰いだ時、 イエスの足がぴたりと止まりました。イエスは、自分を見つめている者が いることに気づいていました。それも、いちじく桑の樹の上から必死の 思いで自分を見つめている。その者の姿は、生い茂った葉の隠にあって 見えないが、イエスにはすべてがわかっていました。 イエスは上を見上げて大きな声で呼びかけました。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。」
これまで一度も会ったこともないのに、イエスから名前を呼ばれた ザアカイはびっくりしてしましました。名前を呼ばれた。それは、 その人の存在がイエスに受け入れられたことを意味します。真の友人として ザアカイを受け入れてくれたのです。イエスは、さらに続けてこう おっしゃいました。
「今日は、ぜひ、あなたの家に泊まりたい。」
「泊まる」とは、その人の身体を相手にすべて委ねることです。 相手に対する最高の信頼を表す行為です。これまで、ザアカイには友人が なく、食卓を共にしてくれる者もいませんでした。ましてや「お客」として 泊まってくれる人などいる筈がありません。ザアカイは転げ落ちるようにして 樹から下りるとイエスの前に跪きました。ザアカイの肩にイエスの温かな 手が置かれました。この瞬間、ザアカイは生まれ変わったのです。

  事情をわきまえない人々は、イエスが「罪人」の家に泊ま るといった言葉にこだわり、不快の言葉を口にしました。 そうした人々を尻目に、ザアカイは立ち上がってイエスに約束したのです。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、 だれかから何かをだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
ザアカイの人間宣言です。イエスとの出会いによってザアカイは生まれ変わり、 愛と正義に生きる人になったのです。イエスの祝福の言葉が、おごそかに 響きました。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。」

  「アブラハム」はユダヤ人の信仰の祖です。 「アブラハムの子」とは神の子、神様に愛される者、という意味を 持っています。イエスはいっさい分けへだてをなさらないお方です。 ザアカイのように神の前から離れてしまった人間を取り戻し、神の救いに 与らせるために町々、村々を訪ね歩いたのです。イエスに出会った ザアカイがそれからどのような人生を歩いたのかを書く必要はないでしょう。

  あの日、私はエリコの町でいちじく桑の樹を見つけ、 ザアカイのようによじ登ってみたい衝動に駆られたことを覚えています。 「この樹に登ればイエスに会えるかもしれない。」その思いを今も 持ち続けています。次にエリコを旅する機会があれば、ぜひ試みたいと 思っています。

  ルカによる福音書によると、イエスは「旅の人」として 書かれています。悩める者、孤独な者―そうした苦しみを負った人を 探し求め、救いへと導かれるために、イエスは今も旅を続けておられます。 甲府の町にもイエスはやって来られます。幸いなことにザアカイのように 樹によじ登らなくても「教会」でわたしたちはイエスに出会い、 救いに与ることができるのです。


戻る

新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生

1941年2月 埼玉県に生まれる。
1963年 中央大学法学部法律学科卒業
2002年 本園の「せいあいだより」に寄稿開始。
東京YMCA学院院長。俳句結社「日矢」同人。
著書:『青年の使途』,『宣教師に育まれた料理人』,『海のレクイエム』
『愛 わがプレリュード』,『野尻湖物語』,『神を讃う』ほか




Copyright © 2004-2005, SEIAI Yochien.
本ページと付随するページの内容の一部または全部について聖愛幼稚園の許諾を得ずに、
いかなる方法においても無断で複写、複製する事は禁じられています。
mail@seiai.net