イエスは、私たちのために、命を捨ててくださいました。
そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも
兄弟のために命を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に
事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内に
とどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって
誠実に愛し合おう。
(ヨハネの手紙一 三章十六〜十八節)
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今からちょうど五十年前の九月二十六日の夕刻から夜にかけて
大型の台風十五号が北海道を襲いました。中でも函館市をはじめ、その周辺の
町や村は大きな被害を受けました。台風は陸上だけでなく海でも猛威をふるい、
甚大な被害をもたらせたのです。この夜、函館湾内では幾隻もの船が荒れ狂う
風と波の直撃を受けて座礁転覆し、多くの人々が尊い生命を失いました。
とりわけ被害が大きかったのは青函連絡船の「洞爺丸」でした。「洞爺丸」は
青森と函館との間の津軽海峡を往復してたくさんの人々を運んでいました。
「洞爺丸」は当時最新鋭の連絡船で、スマートで美しい船体をしていたので
「海峡の女王」と呼ばれていました。どんな嵐に遭っても沈むことはないと
思われていた「洞爺丸」でしたが、風速五十メートルを超える暴風と
高さ十メートル近い荒波に翻弄され、ついに座礁転覆してしまったのです。
犠牲者は千人をはるかに超え、あの「タイタニック号」に次ぐ、世界第二の
海難事故となりました。世界中を大きな衝撃が走りました。
犠牲者の中に二人の外国人がいました。一人はカナダから
日本に派遣されていた宣教師のアルフレッド・ラッセル・ストーンさん。
もう一人はアメリカのYMCAから日本に派遣されていた協力主事の
ディーン・リーパーさん。リーパーさんは戦後来日した青年で全国の大学に
組織されたYMCAの学生を指導していました。学生たちから兄のように
慕われていたアメリカ人でした。ストーンさんは昭和のはじめに来日し、
農村に住む人々のために愛の宣教活動をしたカナダ人でした。
『土を愛し、人(日本人)を愛し、神を愛する』を生涯のモットーとして、
特に貧しい農民の良き師・良き友として活躍しました。
亡くなった時、ストーンさんは五十二才、リーパーさんは三十三才の若さでした。
二人は、一九五四年九月二十六日の夕方、たまたま「洞爺丸」に乗り合わせました。
五十年前は今とちがって気象衛星などなく、観測体制は不十分でした。
このため、北海道に接近しつつあった台風の位置、大きさ、速度を正確に
知ることはできませんでした。そのため、船長は判断を誤り、「洞爺丸」を
出航させてしまったのです。接近する台風の最中に港を離れた「洞爺丸」は
次第に激しさを増す風と波に翻弄され、数時間のうちには座礁転覆してしまったのです。
船に乗り合わせた人々は数時間にわたって恐怖にさらされました。
船は大波にあおられ、乗客はパニックに襲われました。やがて全員に救命胴衣の
着用指令が出されました。ストーンさんとリーパーさんは、あわてたり、
泣き叫んだりする乗客をなだめ、励ましつつ救命胴衣の着用の手助けを
してやりました。ついには電気が消え、午後十時三十八分。決定的な大波が
「洞爺丸」を直撃したのです。
助かった人わずか百六十名ほどで、千人を超える人々が
亡くなりました。事故から二日後にストーンさんの遺体が、それからさらに後に
リーパーさんの遺体が発見されました。多くの犠牲者は救命胴衣を着けたまま
亡くなっていたのに、この二人は救命胴衣を身に着けていませんでした。
二人とも自分の救命胴衣を日本人に手渡して死んでいったのです。事実、事故から
数日後、宣教師から救命胴衣をもらったという青年が現れました。
二人の外国人の愛の行為は多くの人々に深い感動を
呼びました。キリストの愛を身をもって示し、日本人の生命を救った
という話は、その後も人々の間に語り継がれています。三浦綾子は
小説「氷点」の中で、ストーンさんのモデルを登場させています。
本年は洞爺丸海難事故からちょうど五十年目にあたります。
日本の関係者の招きで、ストーンさんとリーパーさんの遺族が来日しました。
ストーンさんの次男のロバート夫妻とリーパー夫人と長男のスティーブさんの
四人です。遺族はこれまで一度も顔を会わせたことはありませんでしたが、
この度、函館の教会で顔を合わせ、礼拝後、洞爺丸の遭難現場(七重浜)に
立つ慰霊碑の前に立って花束をささげ、深い祈りをささげました。
ロバートは亡き父の信仰と足跡を継いで教育者として大きな働きをしました。
リーパー夫人と長男は世界平和実現に向けて現在も精力的に活動しています。
遺族に共通しているのは、キリストの愛に生きていることと大の日本びいきと
いうことです。
この日、慰霊碑の前に立ったロバート・ストーンは取材にあたった
新聞記者に次のように語っています。
「生前、困っている人がいれば必ず助けた父だった。船内で父がしたことは
少しも驚かないし、誇りに思っている。」
また、リーパー夫人は、
「船が沈んだ海がこんなに静かとはうそみたい。今日は世界平和のために祈る。」
と話したとのことです。
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新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生