学校法人 聖愛幼稚園
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聖書のお話
書き下ろし連載二八
渇くことのない水

新堀邦司

                
わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。
(ヨハネによる福音書四章十一節)

  今年は空梅雨でした。 雨らしい雨がほとんど降らず、梅雨も明けないうちから すごい暑さに見舞われています。このままでは大地が 干上がってしまうのではないか。夏はひどい水不足になるのではないか。 何か心配になってしまいます。

  私は、この七月から東京の下町にあるYMCAの幼稚園に 勤務しています。正確にいうと園舎の三階にある学校法人本部で 執務をしています。私は二十年ほど前にはこの幼稚園の園長をしていました。 現在の園長は私よりずっと後輩にあたります。毎日、園庭で園児とよく 遊んでいるせいかとてもよく日焼けしています。 その様子を見ながら私も二十年前に、園児と楽しく遊んだことを 懐かしく想い出したりしています。

  ここの幼稚園の子は、とにかくよく遊びます。園庭で砂(泥)だらけに なってお友だちと走り回っています。夏になると水遊びが始まります。 その様子は活きいきとして、実に楽しそうです。園庭にできた水たまりには 鳩がやってきて子どもたちの傍らで水浴びをしています。 鳩もうれしそうです。そうして光景を見ながら、水はいのちを育てる 自然の恵みだと思わされます。水は人間や動物だけでなく、植物をも育てます。 水と縁のない生きものは存在しません。 日本は比較的水に恵まれている国ですから、わたしたちは 日頃水のことをあまり意識しないで暮らしています。たまたま、夏が ひどい水不足に見舞われたりすると大切さがわかるのですが。

  さて、聖書の地イスラエルは事情が全く異なっています。 水資源に恵まれていません。それだけにここに住む人々は水の大切さを 知っています。現在でもイスラエルに住む人々は水を大切に使います。 自分のいのちが貴重な水によって支えられていることを知っているからです。

  イエスは水の大切さを誰よりもよく知っておられました。 それだけに、水にたとえて神様の真理を上手に話されたのです。 わたしたちが普段飲む水はたしかに渇いた喉を潤し、体の細胞を 元気づけてくれます。けれども、それはいっときのことで、 夏の暑い日などにはすぐに渇きを覚えて水が欲しくなります。 そういう意味では、水のもたらす効果は有限です。

  イエスは、人間は有限の水と尽きることのない無限の水が 必要であるといっておられます。有限の水は生身の肉体を養い育てる。 それに対し、無限の水はわたしたちの魂を養い育てる。 二つの水を対比させながら、魂を養い育ててくださる神様の水を 飲みなさいとおっしゃっています。この水はイエスによって 与えられるものなのです。この水は神様の真理に与り、 尽きることのない永遠のいのちにつながるものです。いうまでもなく、 イエスの与える水を飲むとは、神様を信じ、従って生きることを 意味しています。肉体を潤してくれる水は人間の力で手に入れる ことができますが、魂を潤す永遠の命に至る水はどんなに努力しても 人間の力では手に入りません。でも、この水は神の恵みとして誰もが 飲むことができるのです。けっして渇くことのないイエスの与える水を 飲む者になりたいと思うのです。

楽しい夏休みをお過ごしください。


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新堀 邦司(にいほり・くにじ)先生

1941年2月 埼玉県に生まれる。
1963年 中央大学法学部法律学科卒業
2002年 本園の「せいあいだより」に寄稿開始。
東京YMCA学院院長。俳句結社「日矢」同人。
著書:『青年の使途』,『宣教師に育まれた料理人』,『海のレクイエム』
『愛 わがプレリュード』,『野尻湖物語』,『神を讃う』ほか




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